うつ病になってから、私は「病気というものは、少しずつ悪くなっていくこともあるのではないか」と考えるようになりました。
少しずつ、少しずつ調子が悪くなっていって、ある日突然、ズドンと落ちてしまう。
もちろん、これは医学的にすべてのうつ病に当てはまるという話ではありません。
私自身のこれまでの感覚として、そう感じることがあります。
だからこそ、良くなるときも、もしかしたら同じなのかもしれないと思っています。
少しずつ。
ほんの少しずつ。
まずはコーヒーから
最近の私は、少しずつ外へ出るようになりました。
といっても、遠くへ出かけるわけではありません。
家から徒歩1分ほどのところにある喫茶店です。
「コーヒーを飲みに行こう」
それだけです。
たったそれだけなのですが、私にとっては大きな意味があります。
うつ病になると、とにかく人に会いたくなくなることがあります。
人に見られるのが嫌。
人から声をかけられるのも嫌。
自分から声をかけるのも面倒。
誰かと話すことすら、ものすごくエネルギーを使うように感じる。
だったら、誰にも会わず、自分の殻の中に閉じこもっていたほうが楽です。
それが、そのときの私にとっては一番「最小限の力で生きられる方法」だったのだと思います。
殻の中にいる時間も必要だった
私は、うつ病の人がいつでも外へ出たほうがいいとは思いません。
本当に調子が悪いときに、
「散歩しましょう」
「人と交流しましょう」
「外へ出ましょう」
と言われても、できないことがあります。
コーヒーを飲みに行くことさえ、難しい。
そんなときは、無理をして外へ出るよりも、休むことが必要なのだと思います。
自分の殻の中に閉じこもる。
誰にも会わない。
何もしない。
ただ休む。
それも、その人が生きていくために必要な時間なのかもしれません。
少なくとも、私はそうでした。
でも、少し動けるようになったら
そして、いつまでも同じ状態とは限りません。
少しだけ体が動く。
少しだけ気持ちが動く。
「コーヒーくらいなら飲みに行ってみようかな」
そう思える日がやってくることがあります。
私は、そういうときには、少しずつ外へ出てみるのもいいのではないかと思うようになりました。
私の場合、徒歩1分の喫茶店があります。
だから、とても助かっています。
遠くまで行かなくていい。
長時間外にいなくてもいい。
コーヒーを1杯飲んで帰ってきてもいい。
最近では、喫茶店で行われている催しにも参加できるようになりました。
今日は整体の先生が行っている体操にも参加しました。
1時間ほど、ゆっくり体を動かしました。
以前の私だったら、こういう場所に参加すること自体が難しかったと思います。
「少しずつ」は、案外すごい
私は最近、少しずつ外へ出られるようになったことで、
「少しずつって、案外すごいことなのかもしれない」
と思っています。
コーヒー1杯。
徒歩1分。
1時間のゆっくりした体操。
人と少し話す。
催しに参加する。
一つ一つを見れば、とても小さなことです。
でも、以前できなかったことが一つできるようになった。
それは、私にとっては小さな変化です。
そして、小さな変化が積み重なれば、いつか大きな変化になるかもしれません。
まだ発展途上
もちろん、私はまだ良くなったばかりです。
「もう大丈夫」とは思っていません。
また調子を崩して、突然ズドンと落ちることだってあるかもしれません。
だから、今の状態を「完全に治った」とは考えていません。
まだ発展途上です。
それでも、今は少し調子がいい。
少し外へ出られる。
人と会える。
体を動かせる。
コーヒーを飲みに行ける。
それなら、それでいいのだと思います。
休むことと、動くこと
うつ病になってから、私は「休むこと」と「動くこと」のどちらも大切なのだと思うようになりました。
調子が悪いときは、休む。
少し動けるようになったら、少し動いてみる。
無理なら、また休む。
そして、また少し動けるようになったら動いてみる。
毎日同じようにできなくてもいい。
昨日できたことが、今日はできなくてもいい。
それでもいい。
私は最近、そんなふうに考えています。
人生を一気に元通りにする必要はない。
今日、コーヒーを1杯飲みに行けた。
それだけでも十分です。
明日も行けるかもしれない。
行けないかもしれない。
それは、その日の私に任せようと思います。
少しずつ。
休みながら。
また少しずつ。
そうやって私は、今日も無理せず低空飛行でギリギリ墜落せずで生きています。
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