この世界で正常でいることが、いちばん難しいのかもしれない

「鬱は大人のたしなみ」という言葉から考えたこと

リリー・フランキーさん自身も、40代の時にうつや気力の低下を経験したことがあると、ネット上では紹介されている。

40代で“うつ”を経験したリリー・フランキーさん、50代で“うつ病”を経験した南果歩さんと、克服の手がかりを探る(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース
NHKで3週にわたってお伝えする、NHKスペシャル・新シリーズ「病への挑戦」。多くの人が直面する「がん」「うつ病」「認知症」をテーマに、MCのリリー・フランキーさんとともに、最新科学から病の正体に迫

だからこそ、ネットで紹介されていたリリー・フランキーさんの「鬱は大人のたしなみ」という言葉が、私の心に引っかかったのかもしれない。

実際に心が沈む経験をした人には、何事もなく社会に適応しているときには見えなかったものが、見えてくることもあるのではないだろうか。

そんなことを考えていたら、私はふと思った。

もしかすると、この難しい世界では、物事を深く考え、社会に違和感を覚える人ほど、苦しくなってしまうことがあるのではないだろうか。

そして、反対に、この世界で何の疑問も抱かず、何の違和感も覚えずに生きていけることのほうが、ある意味では不思議なのではないか、と。

もちろん、これは私が感じたことにすぎない。

けれど、社会の仕組みや人間関係に疑問を持ち、さまざまなことを考えれば考えるほど、気持ちが沈んでしまうことはあると思う。

うつ病は、恥ずかしいことなのだろうか

私はうつ病を抱えている。

気力が出なくなり、寝込んでしまうこともある。何かをしようと思っても、身体がついてこない日もある。

そういうときには、社会の役に立てていないのではないかと思うこともある。

世の中はどんどん進化していく。人々は忙しく働き、次々と新しいことを覚え、社会の変化に対応していく。

そんななかで、思うように動けない自分を見ると、情けなさを感じることだってある。

けれど、うつ病になったことは、そんなに恥ずかしいことなのだろうか。

もちろん、うつ病はつらい病気だ。本人が望んでなるものではないし、生活に大きな影響が出ることもある。

だから、うつ病を美化したいわけではない。

ただ、病気になったというだけで、その人の価値まで失われるわけではないと思うのだ。

社会に適応できなくなった人がいる一方で、社会のほうにも、人間が無理なく生きるには難しい部分があるのかもしれない。

人間は機械ではない。

いつでも同じように働けるわけでも、毎日同じだけの能力を発揮できるわけでもない。

それなのに、周りと同じペースで動くことを求められ続けたら、苦しくなる人がいても不思議ではないと思う。

人間はサイボーグではない

社会は変化し続けている。

新しい技術が生まれ、便利なものが増え、仕事の進め方も人との関わり方も変わっていく。

その変化についていくことが得意な人もいれば、そうではない人もいる。

変化に対応すること自体が悪いわけではない。けれど、社会の進化する速度に、すべての人間が合わせなければならないのだろうか。

人間には、それぞれの体力がある。

それぞれの感受性があり、考える速度があり、物事を受け止めるために必要な時間がある。

それなのに、周囲のペースに合わせることばかりを優先して、自分の限界を無視し続けたら、心や身体に不調が現れることもあるだろう。

人間はサイボーグではないのだから(今のところ、近未来はわからないが)。

疲れたら疲れるし、傷ついたら傷つく。不安になることもあれば、何もできなくなることだってある。

それは、人間が機械ではないからこそ起こることなのだと思う。

もちろん、うつ病になる理由は人それぞれで、社会への違和感だけで説明できるものではない。

それでも、周囲に合わせられないことを、すべて本人の弱さとして片づけてしまうのは違うのではないだろうか。

自分のペースで生きていく

リリー・フランキーさんの言葉として紹介されていた文章を読み、私が受け取ったのは、自分のペースで生きることの大切さだった。

周りが頑張っているから、自分も頑張らなければならない。

みんなができているから、自分もできなければならない。

社会がこれだけの速度で進んでいるのだから、自分もその速度についていかなければならない。

そんなふうに考えていたら、いつか自分自身を見失ってしまうかもしれない。

もちろん、社会のなかで生きていく以上、周囲と歩調を合わせなければならない場面もある。

けれど、いつも誰かと同じ速度で歩く必要はないと思うのだ。

速く歩ける人は速く歩けばいい。

ゆっくり歩く人は、ゆっくり歩けばいい。

途中で立ち止まる人がいてもいいし、今は歩くことさえ難しい人がいてもいい。

大切なのは、周囲の速度に合わせることだけを人生の基準にしないことではないだろうか。

何でもできるわけではないし、思うように動けない日もある。

それでも、自分にできることを、自分のペースで続けていけばいいのだと思っている。

社会の基準だけで自分の人生を測らなくてもいい。

誰かと同じように生きられなくても、それだけで自分の人生が間違っていることにはならないのだから。

この世界で正常でいることが、どれほど難しいのか。

そもそも、正常とは何なのか。

そんなことを考えながら、私は今日も、自分のペースで生きていこうと思う。

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