◆「うちはまとまりのある家族よね」と母は言った
祖母の年金すらもネコババしていた母がよく言っていた言葉がある。
「うちの家族はまとまりがあるね」
本人は本気でそう思っていたようだった。
でも、私はその言葉を聞くたびに心の中で思っていた。
「それ、本当に言ってるの?」
もちろん、言い返すことはなかった。黙ってやりすごしていた。
だけど私の中では、その言葉が何より“まとまりのなさ”を証明しているように感じていた。
◆ 家族関係は、崩壊することもある
今、家族との関係は崩壊している。
気づけなかったから、無理をしていたから、崩れてしまったのだと思う。
「家族だから分かり合える」
「家族だから支え合うべき」
そんな理想像を、無理に守ろうとした結果、壊れたのかもしれない。
◆ 傷つけ合う関係なら、距離を取っていい
家族は仲が良いほうがいい。
それはきっと多くの人にとって“理想”だろう。
でも、理想だけで成り立たないのが人間関係でもある。
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傷つけ合ってばかり
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思いを伝えても否定される
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違和感を我慢し続ける
そんな関係を、無理に続ける意味はあるのだろうか。
私はもう、無理にかかわる必要はないと思っている。
**それがうちの“やり方”**なのだ。
◆ 家族との距離に罪悪感を持たないでいい
「家族と疎遠になるのは悪いこと」
「親を大事にしないなんて人としてダメだ」
そんなふうに言われることがある。けれど──
本当に大事にされてこなかった子どもが、大人になっても親を大切にするのは、酷だ。
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自分の心を守ること
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距離を取る勇気を持つこと
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わかりあえないことを認めること
これらは、逃げでも冷酷でもない。
健全な判断であり、立派な選択肢である。
◆ おわりに:「家族は必ずしも味方とは限らない」
親との関係、きょうだいとの関係、家族という名の中にある**“言葉にならない痛み”**。
それをひとつずつ我慢して生きてきた人ほど、「距離を取る」ことに罪悪感を覚える。
でも、本当に大切なのは、家族関係を続けることより、自分が壊れないことだと思う。
壊れる前に、自分の人生を取り戻すための一歩を踏み出してもいい。
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