――うつ病と「決定的に欠けているもの」
医療や福祉に頼れば、確かに生きていくことはできます。
呼吸はできる。雨風をしのげる家もある。最低限の食事もある。
客観的に見れば、「生きていける要素」は揃っているように見えるでしょう。
それでも、うつ病を経験すると、はっきりと感じることがあります。
**「生きるために、決定的に何かが足りない」**という感覚です。
これは贅沢なのでしょうか。
私はそうは思いません。
うつ病で失われるのは「環境」ではなく「内側の機能」
うつ病になると、住む場所や制度がなくなるわけではありません。
失われるのは、もっと内側にあるものです。
たとえば、
- 何かを楽しみに思う感覚
- 自分がここに存在していいと思える感覚
- 未来をぼんやり想像する力
- 「今日を生きた」と実感できる手応え
- 好き嫌いという感覚
これらは、書類にも数字にも表れません。
けれど、生きる上ではとても重要な要素です。
「生きている」と「生かされている」の違い
医療や福祉は、命をつなぐために必要不可欠です。
けれど、それだけでは「生きている実感」までは補えないことがあります。
うつ病の人が感じているのは、
生きているというより、生かされている状態に近いのかもしれません。
身体はここにあるのに、心が世界と接続していない。
時間だけが過ぎていき、自分はそこに参加できていない感覚。
これが続くと、人は深い孤独を感じます。
認知低下と「自分が薄れていく感覚」
うつ病では、集中力や記憶力が落ちることがあります。
いわゆる「認知低下」と呼ばれる状態です。
- さっきの出来事が思い出せない
- 食事をした場所を覚えていない
- 昨日の感情がどこか他人事のように感じる
- 自分が何したいのかよくわかんないない
こうした状態が続くと、
**「自分という存在が薄れていく」**ような不安に襲われます。
これもまた、うつ病の大きな苦しさの一つです。
足りないのは「頑張り」ではない
ここで大切なのは、
足りないのは「努力」や「根性」ではない、ということです。
足りないのは、
- 心が回復する時間
- 安心して休める感覚
- 自分を責めなくていい余白
そして何より、
「生きていてもいい」と感じられる小さな確信です。
最後に
生きていける条件が揃っているのに苦しい。
それは矛盾ではありません。
うつ病とは、
生きるための最低条件は満たされていても、生きる実感を失う病気だからです。
この感覚を言葉にできないまま、
「自分は贅沢だ」「甘えている」と自分を責めている人は、とても多い。
もしこの記事を読んで、
「これは自分のことだ」と思ったなら、
あなたは一人ではありません。

コメント