甲状腺機能低下症を20年放置した結果──気づかずに壊れていった体と心の記録

このサイトでは何度か書いていますが、改めてお話しします。
私は甲状腺機能低下症という病気を、20年以上放置して生きてきました。
「放置した」と言っても、自分から放置したのではありません。
気づかせてもらえなかった理解されなかった、そして見捨てられたまま生きてきたのです。


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第1章:17歳、熱と倦怠感と「お受験」のはざまで

私は子どもの頃からずっと疲れやすく、常にだるさを抱えている子でした。
でも、両親に言われていたのはこんな言葉でした。

「五体満足なんだから文句言うな」
「手足がない人だって生きてる。あなたは恵まれてる」

つまり、見た目に異常がないなら健康、それが私の家のルールでした。

17歳のある日から、毎日37度以上の微熱が続きました。半年以上、毎日です。
でも倒れない。動ける。だから、親は「大丈夫」と言いました。
受験のことしか頭になかったのです。
私の身体よりも、学歴や世間体が大切な親たちでした。

その異変に気づいてくれたのは、学校の保健室の先生です。
「カウンセラーの先生が来るから、一度話してみない? 通常カウンセラーっていうと1時間1万円だけど今回は無料だよ」
そう言ってくれて、精神科の先生と1時間ほど話しました。


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第2章:「うつ病」と「甲状腺ホルモン異常」──でも治療は打ち切りに

その精神科医の先生は「うちの病院に一度来てください」と言いました。
私は紹介された病院に行きました。

  • 1回目の診察:うつ病の可能性

  • 2回目の診察:「甲状腺ホルモンの異常」

  • 3回目の診察

でも、当時は子ども医療費が無料ではなく、診察・薬で1回5000円ほど。
母が「お金かかるわね」と言い出しました。

私の両親は、「精神科=弱い人のもの=頭が普通でない」と決めつけていました。
彼らにとっての私は「普通に見えるなら普通」「病気じゃないなら問題ない」存在だったのです。


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第3章:向上心を持てず、壊れていくのに“元気なふり”をした20年間

その後の私は、「自分は健康」「努力が足りないだけ」と思い込んで生きてきました。
でも実際は、勉強に集中できない、やる気が続かない、体が重い。
「やりたいのに、やれない」毎日でした。

でも、元気だと言われる。

センター試験すら受けられませんでした。
体も心も動かない。
でも親からは、

「みんな大学行ってるのに、あなただけ」
「家にいられても困る」

と追い立てられました。
体調が悪くても「大丈夫?」の一言もなく、ただただ責められる。
私にとって家族は、味方ではなく敵でした。
安心できる場所が、どこにもなかった。

私は働き始めました。
でも選べる仕事は体を酷使するものばかり。
家政婦、ヘルパー、公共施設の清掃、大学のトイレ清掃。
私は偏差値62の高校を出て、そういう職を転々としてきました。
「私は元気なんだから働かない」と思い込もうとしていたのです。

でも、清掃の仕事は嫌いじゃなかったんです。
出会ってきた人たちにはいい人ばかりでした。


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第4章:精神科で思い出す「甲状腺」──20年後の再会

大人になって、どうにもならなくなって再び精神科へ。
「何もかもやる気が出ないんです」と伝えました。
そのとき、ふと思い出したんです。

「そういえば高校生の時に“甲状腺のホルモンがおかしい”って言われたことがあった」

その精神科の先生は、即答しました。
「甲状腺専門の病院に行ってください」

私は20年ぶりに、甲状腺の検査を受けることになりました。

その時に私は20年ぶりに高校生の時に通った、3回しか通ってない、その病院に電話しました。すると
診療記録を取ってくださってて「甲状腺機能低下症」でチラーヂンが出ていたのを知りました。

私は「甲状腺機能低下症」という病気だったのかというのを初めて知ります。


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第5章:やっとわかった、「私は病気だったんだ」

甲状腺科を受診した結果、診断は甲状腺機能低下症(橋本病)
高校生の時に「ホルモンが少ないかも」と言われてから、実際にはずっと続いていたのでしょう。

先生はカルテを見ながら、こう言いました。

「よくこんな数値で動けてたね。これじゃ体が動かないよ。元気になる薬、出しておくからね」

その日から「チラーヂン75μg」の服用が始まりました。

「ただの甘えじゃなかったんだ」
ようやく、自分がずっと病気だったことを認めることができました。
努力不足でも、性格のせいでもなかった。
私は本当に、体が壊れていたのです。

ここに辿り着くまでに、家族の支えなく、私は一人で全てを手配しなければなりませんでした。
いざとなったら、私の家族は役に立ちません。
血のつながりなど、本当に無意味だと実感しました。


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第6章:ホルモン値が正常でも、もう戻れない

チラーヂンを飲み始めて、しばらくすると血液中のホルモン値は安定してきました。
数値だけ見れば「正常」です。

でも、体も心も以前のようには戻りません。
20年近く、うつ状態のまま生きてきたダメージは大きすぎたのです。

いまはチラーヂン50μgをずっと飲み続けており、それでも体調は良くなりません。
精神安定剤を飲んでも、動けない日が出てきました。
この前の火曜日なんて、一日中起きられず、トイレにも行けずに漏らしてしまいました。

だからこそ、言いたい。

病気は、早いうちに見つけてほしい
体も心も火だるまになる前に、火種のうちに気づいて、消してあげてほしい。
そうしなければ、私のような「ずっと燃え続けて、灰になった人間」が生まれてしまいます。

生産性のない人間が生まれます。

甲状腺ホルモンの異常は、気合いでも、根性でも、自己啓発でも治せません。
「努力不足」ではなく、「治療が必要な病気」です。

だから、気づいた人は病院へ行ってください。

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