「叱責が足りなかったからじゃない」──心が動かなくなるまでの時間

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◆ それでも叱られ続けてきた

「怠けているだけじゃないの?」
「親の叱り方が甘かったのでは?」
そう思われることがある。でも私は──30年以上、厳しい家庭環境で育ってきた
自分が怠けているのではないかと何度も疑い、それでも体が動かないことに苦しみ続けた。

叱責は、すでに十分すぎるほど受けてきた
それでも今、何もできない状態にあるなら──もうそれは「やる気がない」のではなく、**「心が壊れてしまった」**ということなんだと思う。


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◆ 本当に心が動かないとき、人は何もできない

「やる気を出して」
「気合でなんとかなる」
そういう言葉は、心がまだ“動ける”人のためのものだ。

  • 何かにチャレンジしたいと思えない

  • 楽しいと思えることがない

  • “最低限”のことさえこなせない

そんな状態になって、初めて気づいた。これは意志の問題ではなく、脳や神経が正常に働かなくなっている状態なのだと。


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◆ 清掃員の仕事しかできなかった。それでもいい

私は、清掃の仕事を選んだ。選ばざるを得なかった。
正直に言えば、もっと人と関わらずにすむ仕事があるなら、それが良かった。
電話応対や事務職のような「人と調整する仕事」は、私には恐怖でしかなかった

でも、父は言った。

「なんで清掃員なんてやってるんだ?事務員でもできるでしょ」

それは父の価値観から見た“まともな仕事”なのかもしれない。
だけど、私にとっての“まとも”は、まず「生きていけること」だった


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◆ 仕事があるだけで、十分にえらい

人によって「できること」の幅は違う。
誰にでも「清掃の仕事ぐらい」と言う人はいるけれど──それは違う。

  • 毎日決まった時間に起きる

  • 電車に乗る

  • 汚れているところをきれいにする

  • 何も言わず、静かにその仕事を続ける

それができること自体が、立派な能力だ


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◆ 自分に合った仕事をする。それが一番の社会貢献

清掃という仕事がなければ、社会は機能しない。
電話に出られない、事務作業が怖い、そういう人でも社会の一部を担える。
そのことに気づいた時、少しだけ「生きていてもいいのかもしれない」と思えた
それに、清掃員仲間もいい人たちばかりだった。


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◆ おわりに:叱責ではなく、理解がほしかった

社会のなかには、励ましと称して責める言葉が溢れている。
でも、叱られることで人は前に進めるわけではない
特に、心を病んだ人にとっては──その一言が、何日も自分を責め続ける「呪い」になることさえある。

30年も失跡してきて「そろそろ娘はおかしいんじゃないのか?本当に病気なのでは?病院連れて行ったほうがいいのかな」って気づくべきだったんだけど、最後まで気づこうとしない親であった。

障碍者になったら、腫物を触るように何も言わなくなった。もちろん、手もさし伸ばさない。

それでも、私は今、生きている。
そして、「清掃員しかできなかった自分」ではなく、**「清掃員ができた自分」**として、これからも歩いていきたい。

今はまともに働けていないけど。

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