うつ病になったとき、人は最初に何を考えるのか。
それは「何もしたくなくなる」ことでも、「泣き続ける」ことでもありません。
いちばん最初に浮かぶのは、
漠然とした「私はなぜ生きているのだろう」という問いです。
この問いは、大きな音を立てることなく、
けれど確実に、頭の中を侵食し始めます。
行動ではなく、「意味」から崩れていく
うつ病は、外から見ると
「動けなくなる病気」に見えがちです。
しかし実際には、人はいきなり寝たきりになるわけではありません。
そこには、必ず前段階があります。
人間は、動けなくなる前に、
必死で対処しようとします。
- 気合で何とかしようとする
- 普通のふりを続けようとする
- 理由を探して踏みとどまろうとする
その過程で、最初に姿を現すのが
「なぜ生きているのか」という問いなのです。
内側で起きているのは、行動の停止ではありません。
もっと根本的な、価値や意味の揺らぎです。
- 楽しいと感じられない
- 未来が想像できない
- 自分に価値があると思えない
こうした状態が重なると、人は自然とこう考え始めます。
何の喜びもなく
何の希望もなく
何の価値も感じられないなら
なぜ、私は生きているのだろう
これは甘えでも、怠けでもありません。
人間が理性を持ち、「意味」を必要とする存在だからこそ生まれる問いです。
感情や理屈、これまでの経験をいったん脇に置いて、
ただ純粋に突きつけられるのです。
**「なんで生きているんだろう」**と。
簡単な励ましや、優しい言葉、愛や友情は、
この問いの前ではほとんど役に立ちません。
最初の「なんで生きてるんだろう」は、死にたいとは違う
誤解されやすいのですが、
最初の「なんで生きているんだろう」という問いと、
「死にたい」という気持ちは、同じではありません。
前者は、
生きる理由を必死に探している状態です。
- 理由があれば続けられるかもしれない
- 意味が見つかれば耐えられるかもしれない
そう思いながら、答えを探し続けています。
これは、生きようとしているからこそ生まれる思考です。
最初から死を望んでいるわけではありません。
ただ、
答えがどうしても見つからない。
その結果として、
少しずつ思考が「死」という方向へ傾いていくだけなのです。
やがて、純粋だった問いは、
「なんで私は生まれてきてしまったんだろう」という
後悔に近い形へと変化していきます。
だからこそ、答えが見つからない状態は、人を深く傷つけます。
人間は「意味」がないと、耐えられない
人間は、
- 意味がないと苦しい
- 理由がないと前に進めない
- 物語がないと生き続けられない
そういう生き物です。
だから、うつ病になると人は真っ先に
**「存在の理由」**を探し始めます。
これは弱さではありません。
とても人間らしい反応だと、私は思います。
問いを持っている限り、人はまだ生きている
「なぜ生きているのか」
その答えは、すぐには見つからないかもしれません。
でも、問いを投げかけているということは、
まだ生きる側に立っているということです。
何も考えられなくなった状態のほうが、
よほど危うい。
意味が見えなくても、
理由が言葉にできなくても、
問いを手放していないなら、それだけで十分です。
ただ正直に言えば、
何も考えないほうが、うつ病の人にとっては楽なのも事実です。
だからこそ、人は次第に考えることをやめ、
寝たきりになり、ぼんやりと過ごすようになります。
それは怠けではなく、
これ以上傷つかないための、防衛反応なのだと思います。
おわりに
うつ病になると、人は静かに、深く、
「生きる意味」という場所へ落ちていきます。
それは逃げでも、甘えでもありません。
生きようとする人間が、最後にたどり着く思考なのかもしれません。
答えはなくてもいい。
今は見つからなくてもいい。
問いを抱えたまま生きていること自体が、
すでにひとつの現実であり、事実です。
だから、うつ病の人は考え続けます。
まるで哲学者のように、
生きる意味を病的なほど探し続けます。
そして、
それが見つからなかったとき、
人はようやく、動けなくなるのです。

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