「普通の家庭」が信じられなかった私へ
はじめに:なぜこの記事を書いたのか
「虐待された」と聞くと、ニュースで報じられる極端な例ばかりが思い浮かぶかもしれません。でも実際には、もっと静かで、もっと長く続き、もっと見えにくい虐待があります。それは、心にじわじわと染み込み、自分の価値を失わせていくものです。
この記事では、筆者自身の体験をもとに、「虐待された人にしか見えない世界」とは何かを掘り下げていきます。同じような背景を持つ方が、自分の苦しみを“言葉”で理解できるように。そして、あなたの中にまだ残っている「壊されなかった核」を見つけてもらえるように──。
「住まわせてあげてるだけでありがたいと思え」という言葉
幼いころから、「家に住まわせてあげてるんだから有難いと思え」と言われて育ちました。これが日常会話のように、繰り返し繰り返し投げかけられていたのです。
当時の私は、「それが普通の家庭だ」と信じていました。他人に「親」をしてもらったことがない子どもは、それが“唯一の世界”です。他と比べる術もない。だから、苦しんでいることにさえ気づけませんでした。
私が受けた「見えにくい虐待」
今になって振り返ると、私が受けていたことは、明確に虐待に該当するものでした。
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モラルハラスメント(言葉による支配)
「住まわせてあげてるんだから」「言うこと聞かないなら出て行け」など、愛情ではなく支配で家族関係が構成されていた。 -
医療ネグレクト(治療放棄)
甲状腺の病気が見つかったのに、病院代を惜しんで治療を受けさせてもらえなかった。 -
身体的暴力
算数ができなかったという理由で叩かれ、唇が腫れても病院に連れていかれなかった。 -
精神的な比較と貶め
「手足のない子よりはマシ」「衣食住あるだけ感謝しろ」など、他者の不幸を引き合いに“お前には文句を言う権利はない”と刷り込まれた。
なぜ「自分に価値がない」と思ってしまうのか?
「仕事をしても、それは“当たり前”」
「頑張っても、“感謝”の対象にならない」
そんな環境で育った私は、自分の行動に“対価”や“評価”を求めることができなくなりました。
大人になってからも、「私のしていることなんて価値がない」「これはお金をもらえるようなことじゃない」と、自分の存在や努力を過小評価してしまう。
これは、自尊感情(self-worth)の破壊によるものです。そしてこれは、自分の責任ではなく、長年かけて家庭の中で“教え込まれてきた”ものなのです。
虐待された人にしか見えない世界
虐待された経験を持つ人は、特有の世界の見え方をしています。
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他人が普通に受け取っている「優しさ」が、信じられない
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無償の愛情に、裏があると感じてしまう
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自分の「苦しみ」を他人と比べて、“大したことない”と思い込もうとする
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「ありがとう」と言われると、戸惑ってしまう
けれど、これらの“違和感”は、あなたが壊れている証ではなく、「本当の優しさ」を知らないまま育ってきた証拠です。
そして今、その違和感に気づいているということは、あなたの中にまだ壊されていない部分=命の核が残っているということでもあります。
最後に:あなたは悪くない
虐待を受けて育った人の多くが、自分の価値を疑い、社会の中で居場所を見失いがちです。
でも、それは「あなたに価値がないから」ではありません。
あなたは、価値を見出す機会すら与えられなかったんです。
でも、今こうしてこの記事を読んでいるなら、それはあなたが「自分を取り戻したい」と願っているからです。
そしてその願いこそが、壊されなかったあなたの中心──未来へ続く種です。
私は両親ともそういう人だったので逃げ場が特にありませんでした。常に追い立てられていました。
未だに私は自分の価値を探し続けています。「あなたには生きているだけで価値がある」っていう言葉がありますが、私はこういう環境で育ってるからその言葉は信じれないでいます。
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