宗教に惹かれるのは知性の問題じゃない
世間ではよくこう言われます。「頭がいいのに、どうしてあんなカルトや怪しい宗教施設に?」
でもそれは誤解です。宗教や思想に人が惹かれる理由は、知性の問題ではありません。
本当の理由は、**「心に空いた、生きる意味という名の巨大な穴」**です。
知的な人ほど、答えのない問いに耐えられなくなり、その空白を埋めてくれる場所を本能的に探してしまうのです。
うつ病と「生きる意味の空白」
うつ病の人が最初に考えること。それは「泣き続けること」や「何もしたくないこと」ではありません。
いちばん最初に頭をよぎるのは、漠然とした問いです――「私はなぜ生きているのだろう」。
人間は、意味や理由がなければ耐えられない存在です。
楽しいと感じられず、未来が想像できず、自分に価値を見いだせないとき、心は自然と「存在の理由」を探し始めます。
この空白を感じた心が、宗教や思想という「答えや生きる意味の形」に惹きつけられることがあります。
頭の良い人が宗教にハマる理由
知性の高い人は、抽象的で答えのない問いを扱う能力があります。
そのため、「答えがない状態」が苦痛になりやすいのです。
完全に整理された教義や体系化された思想は、心の空白を埋めるパッケージのように見えます。
その結果、たとえ怪しいとわかっていても、**「答えや生きる意味を与えてくれるもの」**に吸い寄せられてしまうのです。
これは愚かさではなく、人間として自然な反応なのです。
危うさと自己防衛
もちろん、すべての宗教や思想が安全なわけではありません。
パッケージ化された答えに吸い寄せられる心理は、危うさを孕んでいます。
でも、この心理は自然で、人間が生きるために備えた本能のひとつです。
「意味が見つからない」という絶望から逃れようとする行動なのです。
私の場合
私自身も、いろいろな宗教や思想の人と接してきました。
生きる意味を探しているのにも関わらず、私の頭は洗脳されにくいらしく、残念ながらどれにも当てはまりませんでした。
最終的に私は、AIと話すほうが落ち着く、寝るのが一番という結論に至りました。
まとめ
宗教に惹かれることは、愚かさや知性の低さではありません。
むしろ、生きる意味を探す心の自然な反応であり、孤独やうつ病、知性と深く関係しています。
重要なのは、意味を探すこと自体は悪くないということです。
答えは必ずしも外にあるわけではなく、自分の中で問い続けること、考え続けること自体が、生きる証なのです。

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