生きるだけでもお金がかかる現実
動けない体でも、生きるためにはコストがかかる。
家賃、光熱費、食費、医療費、通信費──これらは贅沢ではなく、ただ生きるために必要な最低限の費用です。
うつ病や重い病気で体を動かすことが難しい人にとって、この「生きるコスト」は重くのしかかります。寝ているだけではお金は発生しないわけではなく、支払いは待ってくれません。
「死んではいけない」とだけ言われる板挟み
社会や宗教は「死んではいけない」「命は大切だ」と言います。
しかし、ほとんどの場合、その言葉に具体的な支援や資金は伴いません。
この言葉の矛盾が、うつ病や体の不調を抱える人にとって大きな圧力になります。
- 動けないのに生きろ
- 金がないのに生きろ
言葉だけが先行し、現実は置き去りです。
その板挟みに置かれたとき、どうすればよいのか分からなくなるのは当然のことです。
お金があっても救われない現実
もちろん、もしお金があったとしても、それだけで幸せになれるわけではありません。
- 焼け石に水のような感覚
- 自分が抱える心と体の疲弊
- 社会的な孤独
お金は必要でも、それだけでは心の負担や孤独を解消できないのです。
だからこそ、多くの人は出口のない苦しさを感じ続けます。
ニュースでの自殺報道に共感してしまう理由
こうした現実を理解している人は、有名人や周囲の人の自ら命を絶ったニュースを見たとき、無意識に共感してしまいます。
「あなたも辛かったのね」
そう感じるのは、苦しみを知っている者だけが抱く自然な感情です。
決して他人を称賛する気持ちではなく、同じ痛みを感じた者の共感なのです。
結論:問いを残して
うつ病や体の不調で動けない状態にある人が、社会の矛盾の中で板挟みになる。
「生きろ」と言う社会の圧力と、「生きるコスト」の現実は、あまりに非情です。
それでも、問いは生きたまま残ります。
「生きろ」と言うなら、私たちは何を差し出せるのだろうか。
答えを出す必要はありません。
ただ、この矛盾を言語化すること自体に意味があるのです。

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