「優しいですね」と言われるたび、なぜか苦しくなる
私はよく「優しい人ですね」と言われる。
けれど、その言葉を向けられるたび、胸の奥が少しだけ痛む。
本当に優しいのだろうか。
それとも、ただ「そうしないといけない」と思って動いているだけなのだろうか。
そんな疑問を、私はずっと抱えたまま生きてきた。
12月、配送業者さんにお菓子を渡した日
12月のある日。
年末で忙しそうな配送業者さんを見て、私は強い申し訳なさを感じた。
「寒い中、こんなに忙しく働かせてしまっている」
「私の荷物のせいで、負担をかけている」
そう思った瞬間、気づけば私はお菓子の詰め合わせを三組も用意していた。
通販でどうしても購入するものが出てきてしまったのだ。
業者さんは驚きながらも、笑顔で受け取ってくれた。
「ありがとうございます」と何度も頭を下げて。
その姿を見て、私はほっとした。
同時に、どこかで「これでやっと許された」と感じていた。
感謝ではなく、「罪悪感」で動いていた
あとから冷静になって考えて、はっきり分かったことがある。
あれは、純粋な感謝だけではなかった。
罪悪感に突き動かされた行動だった。
何かをしてもらうと、そのまま受け取ることができない。
「倍にして返さないといけない」
「何かお返しをしないと、自分の価値が釣り合わない」
そんな考えが、無意識のうちに染みついていた。
「受け取る」ことが、こんなにも怖い理由
思い返せば、私は子どもの頃から
「何かをもらう」
「誰かにしてもらう」
という経験が少なかった。
だからこそ、人からの親切を過剰に重く受け止めてしまう。
相手にとっては何気ない行為でも、私の中ではとても大きな出来事になる。
その重さに耐えられず、
「返すことで帳消しにしよう」としてきたのだと思う。
側から見れば「優しさ」、内側では「必死さ」
配送業者さんにお菓子を渡す行為は、
側から見れば、きっと「親切」や「優しさ」に映るだろう。
でも、私の内側は違った。
・嫌われたくない
・迷惑をかけてはいけない
・そのまま受け取る自分を許せない
優しさの仮面をかぶった、必死さだったのかもしれない。
「ありがとう」だけで終わっても、いい
この出来事を通して、私はひとつ学んだ。
人の親切は、「ありがとう」と受け取るだけでも成立するということ。
何かを返さなくても、
自分の存在価値が下がるわけではない。
それでも、長年染みついた癖は簡単には消えない。
きっと私は、これからも同じことを繰り返すだろう。
それでもいい。
気づけたこと自体が、私にとっては大きな一歩だった。
同じように苦しくなる人へ
もし、
「人から何かをもらうと苦しくなる」
「優しくしているはずなのに、疲れてしまう」
そんな気持ちを抱えている人がいたら。
それは、あなたが弱いからではない。
優しさの根っこに、罪悪感が絡まっているだけかもしれない。
私は今でも、
「ありがとう」だけで済ませられる人間になりたいと思っている。
でも、それを矯正することは、たぶんできない。
これが私だから、仕方がない。
あとから「馬鹿だな」と思っても、これが私だ。
行動しなければしないで、また別の罪悪感を飲み込む。
だから私は、これからもたぶん、同じことをする。
まあ、それでもいいか。
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