若干の回復はあっても、完全な鬱の回復はない

スポンサーリンク

― 長期うつ病を生きるという現実 ―

うつ病について調べると、「回復」「寛解」「再発予防」という言葉が並びます。

けれど、長くうつ病と共に生きてきた人ほど、こう感じているのではないでしょうか。

若干の回復はある。

でも、完全に治ったと感じたことはない。

正直に言えば、寛解という状態すら難しい。

これは悲観でも、諦めでもありません。

長期うつ病を経験した人間だからこそたどり着く、現実的な感覚だと思います。

スポンサーリンク

少し楽になる時期は、確かにある

長期うつ病でも、

  • 以前より気持ちが少し楽になった気がする
  • 外に出ようかと思える日が来る
  • 何らかの感覚を感じる
  • 少し前向きな考えが出てきた

そうした**「若干の回復」は確かに存在します**。

ただ、それは一直線に良くなる回復ではありません。

良くなったと思った直後に、理由もなく沈むこともある。

その日の夕方には、急激に気分が落ち込む時もあります。

調子の良さを信じた途端に、崩れることもある。

だから、「治った」とはとても言えないのです。

スポンサーリンク

寛解という言葉が、しっくりこない理由

医学的には、症状が落ち着いている状態を「寛解」と呼びます。

けれど、長期うつ病の当事者にとっては、

  • 常に再燃の可能性が頭にある
  • 無理をすれば確実に崩れると分かっている
  • 調子が良くても、警戒が抜けない

この状態を「寛解」と呼ぶことに、違和感を覚える人は少なくありません。

症状が消えたのではなく、

なんとか保っているだけ。

それが実感に近いのです。

スポンサーリンク

うつ病は「治る病気」ではなく「性質が変わる病気」

推測ですが、長期うつ病の場合、

回復とは「元に戻る」ことではありません。

脳や心の反応そのものが変わり、

以前と同じ耐久力や回復力は戻らない。

それは失敗でも、努力不足でもなく、

長期間消耗し続けた結果としての変化です。

だから、

  • 完全回復を目指すほど苦しくなる
  • 治らない自分を責めてしまう

そんな悪循環に入りやすくなります。

スポンサーリンク

波の中で生きる、という選択

長期うつ病の現実は、とても静かです。

良い日と悪い日が混ざり合い、

安定しているように見えても、常に揺れている。

それでも生きている。

うつ病患者は、波を消して生きるのではなく、

波がある前提で生きるしかないのかもしれません。

サーファーのようにうまく最小限の動きで波を乗りこなすしかありません。

これは諦めではありません。

無理な期待を手放した、成熟した生き方です。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

まとめ

  • 長期うつ病では、若干の回復はあっても完全な回復は感じにくい
  • 「寛解」という言葉が実感と合わない人も多い
  • 回復とは、元に戻ることではなく、波と共に生きること
  • 治らない自分を責める必要はない

完全に治らなくてもいい。

良くなりきらなくてもいい。

それでも、今日を生きているという事実は、消えません。

コメント