兄弟間で“差”がある家庭──気づくのは大人になってから

おひとりさま移住のあんさんの動画を見て、あんさんは幼少期にネグレクトにあっていた。

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兄弟がいても「平等な愛情」ではない現実

子どもは本能的に、親に愛されていると信じる。 たとえ理不尽な言動や暴力があったとしても、「自分が悪いんだ」「きっと愛されてる」と解釈してしまう。これは子どもの心が親からの愛情を前提に世界を築いているためだ。

そして、兄弟がいる場合でも「みんな同じように扱われている」と錯覚する。だが、実際には兄弟姉妹の中で一人だけがネグレクトや暴言、暴力の対象になっていたというケースは少なくない。

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虐待は家族全体ではなく、個別に集中することがある

「虐待」というと、家族全体が不幸の中にあるような印象を受けがちだが、現実は異なる。

実は“扱いやすい子”“言い返さない子”“目立たない子”に虐待が集中することがある。親は子どもを無意識に選別し、優劣をつけ、ストレスのはけ口にする。ニュースでも、複数人兄弟の中で1人だけが極端に虐待されていたケースが報じられることがある。

この現象は、血縁の有無に関係ない。実子であっても、無視され、否定され、存在を軽視される子は存在する。

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大人になっても消えない「なぜ、あの時……」の問い

時間が経てば忘れるかというと、そうではない。虐待された子どもは、大人になってからようやく「あれはおかしかったんじゃないか?」と気づく。

そして「なぜ母は私にだけ○○したんだろう?」「なぜ○○なの?」と問い続ける。

その問いは時に、40代、50代、あるいは60代になっても続く。

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「親も完璧じゃないから」は逃げの言葉

親の過ちを指摘したとき、よく使われる言い訳が「親だって完璧じゃないから」だ。

しかし、本当に過ちを認識している親であれば、それは逃げではなく、謝罪として表現されるはずだ。

「当時の自分は未熟だった、ごめんね」と言える親は少ない。だからこそ、傷は癒えずに残り続ける。まず、謝罪できる親はその当時に行いを正している可能性が高い。

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家族に失望した人が選ぶ「最小限の関わり」

こうしたトラウマを過去を持つ人は、家族との接触を必要最小限に留めることが多い。

「帰省しない」「連絡しない」「冠婚葬祭も遠巻き」──これは冷たさではなく、防衛反応だ。過去のトラウマが再燃することを避けるための、生き延びるための選択だ。

家庭を築くのも難しくなることがある。親密な関係をどう築いていいかわからず、信頼や愛情の築き方に戸惑うこともある。

だから一人器用になって、なんでもこなせるようになってしまうんだ。


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終わりに

子ども時代の傷は、思っているよりも深く、長く続く。忘れない。

だがそれを言語化し、他者と共有することで、少しずつ“何か”が変わっていくかもしれない。

あなたの痛みは、あなた一人だけのものではない。

 

すぐ忘れられたらいいんだけど、印象深くてなかなか忘れることができないものだ。

当事者ならわかると思う。

ふとした瞬間にまた思い出してしまうんだ。

傷ついたままの大人が結構多いんだなって、改めて気付いた。

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