「自分が赤字になっても、つい人を助けてしまう」
そんな自分に、どこかモヤモヤしていませんか?
「優しすぎる」「いい人」と言われる一方で、なぜか心は疲れ果てている――それは“自己犠牲的な優しさ”が、無意識のサバイバル戦略になっているからかもしれません。
■ 自己犠牲の裏にある「高機能な適応」
このような傾向は、心理学では「自己犠牲的過剰適応」や「共依存的役割」と呼ばれることがあります。
とくに幼少期に虐待や過干渉、無視、暴力的な環境に晒された人が、自分を守るために身につけてきた反応です。
たとえば:
-
愛と暴力がセットだった経験
→「自分を消すことでしか、人とつながれない」と信じてしまう。 -
他人の機嫌を察しないと危険だった子ども時代
→「他人のため」に動き続ける脳の癖がつく。 -
“いい子”でいることでしか生き残れなかった経験
→ 自分の感情を感じること自体が“危険”だと無意識に避けるようになる。
こうした行動は一見「性格」に見えますが、実は生き延びるための極めて合理的な脳の戦略なのです。
■「助けること」が自分を壊していないか?
「誰かの役に立ちたい」という気持ちは、尊いものです。
しかし、自分が壊れてまで助け続けることが“優しさ”とは限りません。
その行動は、
・自分を犠牲にしてでも存在価値を得ようとする古い戦略
・「私は無力だと感じたくない」という痛みからの逃避
になっている可能性もあります。
■ 自己犠牲からの回復に必要なこと
🟢 1. 「壊れていないか」を確認する習慣
「助けたい」と思った瞬間、まず自分の心の“黒字・赤字”をチェックしましょう。
🟢 2. 自己犠牲=愛、という思い込みを見直す
愛とは、**共倒れではなく“共に立ち上がる力”**です。
🟢 3. 「いい子だった自分」を否定せず、理解する
その優しさは、過去の自分が生き延びるために必死で覚えたやり方。
責めるのではなく、抱きしめてあげましょう。
■ まとめ
自己犠牲の奥には、誰にも気づかれずに戦ってきた小さなあなたがいます。
そしてその人は、もう“誰かを救うことでしか生きられない”存在ではありません。
これからは「助ける」ことと同じくらい、「自分を守ること」を大切にしてください。
本当の優しさは、まず自分が潤っていてこそ、広がっていくものですから。
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