否定される前提で人と関わってしまう人へ|親との関係が原因かもしれません

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「近づきたいけど、本音は知られたくない」…その葛藤は両価感情かもしれない

人間関係がどうしても疲れる。
会話の途中で「この一言で嫌われるかも」と不安になってしまう。
そんな方はいませんか?

それは、親との関係に根本的な原因がある場合があります。

心理学には「両価感情(ambivalence)」という言葉があります。
これは、「誰かに近づきたいけれど、近づきすぎると怖い」という矛盾した感情のことです。

そしてこの両価感情は、多くの場合、幼少期に「否定される経験」が積み重なった人に見られる特徴です。


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否定されて育つと、人は「自分=否定される存在」だと思い込むようになる

私は、母にも父にも、人生の初期段階から否定されていたと感じてきました。

何かを言えば「それは違う」「なんでそんなこと言うの?」と返される。
自分の意見や感情はすぐに打ち消される。
そのうち私は「大人の顔色を常に読んで、先回りして行動する」ことが当たり前になっていました。

つまり、私は最初から「私は否定されるもの」という前提で世界に接していたのです。


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些細なことで怒鳴られた経験は「心のセンサー」を敏感にさせる

たとえば、ちょっとした言い間違いで怒鳴られる。
忘れ物をしただけで人格否定される。

そういった経験は、「自分が悪い」と思い込むクセを育てます。
同時に、相手の機嫌や挙動を過剰に察知するセンサーを発達させてしまいます。

その結果、私は今でも、誰かと一緒にいるときに「まだ言われてもいないこと」を先回りして対処しようとしてしまいます。

そしてそれが、自分のエネルギーを削る原因になっていました。


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なぜ人に尽くしてしまうのか? それは“否定されないため”の行動

「頼まれてもいないのに、やってしまう」
「自分のことを後回しにして、人を優先してしまう」

そんな自分に気づいたとき、「どうして私はこんなに“いい人”を演じてしまうのか」と疑問に感じる方もいるでしょう。

でもそれは、“良い人”になりたいわけではなく、
「否定されるのが怖い」から、自分を削ってでも受け入れられようとしているのです。


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人と関わりたい。でも、本音を知られるのは怖い。──その矛盾こそが傷の深さ

人とつながりたい気持ちはある。
でも、心を開いて本当の自分を見せるのは怖い。
だから、近づきすぎないように距離を取る。

そんな両極の間で揺れ動く日々は、心をとても疲弊させます
「関わりたいけど、傷つきたくない」
「孤独はつらいけど、人といるのも怖い」

これはわがままではなく、防衛反応なのです。
そして、そうした感情が生まれる根には、否定され続けた過去が静かに横たわっています。


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「自分を守る」ことは、わがままではなく自然な権利です

私たちは、「人と深く関われない自分」を責めがちです。
でも、それは傷ついてきた自分を守るための、大切な感情の反応なんです。

過去の環境でついた「対人感覚」はすぐには変えられません。
でも、「自分がなぜこう感じるのか」を理解するだけでも、苦しさは少し和らぎます。

他人に無理して合わせるのではなく、
「自分が否定されない距離感」を自分で探していくこと
それが、これからの人間関係を少しずつラクにしていく鍵になるはずです。

といっても、これが身についてしまってる人はなかなか修正できません。


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まとめ|否定されてきた人ほど、人に優しくしようとする。そのやさしさを自分にも

幼少期に否定されてきた人ほど、
「誰かを否定したくない」
「自分がされたことを、人にはしないようにしたい」
と思って生きていることが多いです。

そのやさしさは、本来はとても強くて、まっすぐな愛情の表れです。

でも、他人に向けるそのやさしさを、ぜひ自分にも向けてあげてください。
「私は否定されて当然」なんてことは、絶対にありません。

まずは「今の自分を否定しない」ことから、始めていきましょう。

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