「それ、早くに治療できてたら違う人生だったかもね」──赤の他人に指摘された日

高校生のとき、私はうつ病甲状腺機能低下症を患っていました。

どちらが先に発症していたのか分かりません。
でも、それをあの時治療できていたら、
もしかしたら、今とは違う人生を歩んでいたかもしれない。

それは、私自身がずっと心の中で思ってきたことでした。
でも――そんな思いを、今日出会ったばかりの人に言い当てられたのです。


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「高校生の時に治療開始してれば、もっと楽に生きられたかもね」

そう言われた瞬間、私は何も言えなくなって、そして――泣いてしまいました。

ずっと胸の奥にしまっていた、
誰にも言えなかった、でも消えなかった気持ち。

「早い段階でちゃんと治療が受けられていれば、
ここまで苦しまなくて済んだんじゃないか」

その人は、そんな私の“本音”を、まるで読み取るかのように口にしてくれました。


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家族が非協力的だと、福祉の世界は遠すぎる

私の家族は、病気にも、福祉にも、協力的ではありませんでした。
今もです。

だから、病院も福祉の窓口も、自分ひとりで探して、自分で動くしかなかった。

私は、知能は普通の方だと思っています。
だからなんとかここまでやってこれた。

でも、もし私が、何らかの発達や認知面で困難を抱えていたら?
もし、判断力や語彙力がもう少し弱かったら?
たぶん、誰にも助けを求められないまま、どこかで立ち尽くしていたと思うんです。
そういう人が世の中にいると思います。


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血のつながりって、こんなに無力なんだ

今日、私の本音を見抜いてくれた人は、家族でもなんでもない、赤の他人でした。

でもその人は、ちゃんと私を見て、話を聞いてくれて、私と同じ感覚の意見を的確に言ってくれた。

血のつながりなんて、何なんでしょうね。
本当に大事なのは、「この人の苦しみを感じ取りたい」と思ってくれる気持ちなんだなって。

血縁よりも、“心のつながり”のほうがずっと温かいと感じた日でした。

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