毒親の心理構造と連鎖の断ち切り方
■ はじめに:見えにくい“連鎖の暴力”
「私はあの時、こんなに苦しんだ。だからあなたも苦しむべき」
このような考え方を持つ親に育てられた人は少なくありません。
一見、正論のように聞こえるこの言葉の裏には、未消化の苦しみの投影や、支配の構造が潜んでいます。
一方で、同じように苦労を経験した人でも、「だからこそ、子どもには同じ苦しみを味わわせたくない」と考える人もいます。
この違いはいったいどこから生まれるのでしょうか。
■ 価値観の分かれ道:「再現」か「断絶」か
同じような経験をしても、人はまったく違う態度をとることがあります。
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再現型の親:「自分が我慢したから、あなたも我慢しなさい」
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断絶型の親:「自分が我慢したからこそ、あなたには笑っていてほしい」
この差を分けるのは、内省力(メタ認知)と共感力です。
苦しみを消化できなかった人ほど、その痛みを「教育」や「正義」にすり替え、子どもにぶつけやすくなります。
■ 「私は正しかった」という証明欲
「私が苦しんだのは意味があった」
この思いが強すぎると、無意識のうちに自分の苦労を正当化するために、子どもにも苦しみを再現させようとするケースがあります。
たとえば、
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学費を出さずに「自分でなんとかしなさい」と突き放す
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経済的に援助できる余裕があるのに「甘やかすとダメになる」と手を引く
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自分の過去の苦労話を繰り返し語り、子に罪悪感を植えつける
これは、**教育でも自立支援でもなく、心理的な“服従要求”**に近いものです。
■ 親の苦しみと子どもの人生は別物
重要なのは、親の人生と子どもの人生は別であるという線引きです。
苦しみは“引き継がれるべきもの”ではなく、昇華されるべきものです。
「私のときはもっと大変だった」
というセリフを口にするたびに、子どもは自分の感じている苦しみを無効化され、
「自分は甘えているのかもしれない」と、自分を責めるようになります。
■ 連鎖を断つ人の特徴
「だからこそ、あなたには同じ思いをさせたくない」
この考え方ができる人は、自分の痛みに向き合い、それを糧に変えようとする強さを持っています。
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苦しみを“復讐”に使わない
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自分の感情を子どもにぶつけず、整理する努力をする
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「支配」よりも「共に歩む」姿勢を選ぶ
これは、親という立場であっても非常に難しいことです。
でも、ここにこそ「成熟した愛」があるのです。
■ 終わりに:その思いは、誰のもの?
もし、あなたが親から「あなたも苦しみなさい」と言われたことがあるなら、
それはあなたの“義務”ではなく、親の心の未処理な問題です。
それをあなたが背負う必要はありません。
そしてもし、あなたが親の立場で「どう接すればいいか」迷っているなら、
過去の自分の痛みと向き合いながら、
「だからこそ、あなたには……」と一言添えられる人であってほしい。
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