ゾンビの街と化したアメリカ:フィラデルフィアに見るフェンタニル地獄の現実


フィラデルフィアは、もはや笑えない街になった。
通りには薬物依存の人々があふれ、もはや「治療」という希望すら存在しない。
医療では彼らを救えず、ただ死を待つばかりの状態にある。

一見、意志が弱かっただけと思われがちだ。
だが実際には、家庭内の虐待やネグレクト、従軍経験によるトラウマ、うつ病やPTSDといった精神疾患の果てに、
「フェンタニルしか救いがなかった」人たちが集まっている。

彼らは意志が弱いのではない。
社会からの支援を受けられず、苦しみの末に手を出した「最後の手段」が、フェンタニルだった。


■ 「度胸試し」に来て、帰れなくなる若者たち

フィラデルフィアのケンジントン地区には、アメリカ全土から人が集まってくる。
中には、「度胸試し」のつもりでドラッグを打ちに来る若者もいる。

「一回だけだから」 「友達がいるから平気」

そんな軽い気持ちでフェンタニルやtranqを打ち、
数日後には自力で立つことも、家に電話することもできなくなる。

やがて家族が彼らを探しに来る。
電柱や壁に、“Missing”と書かれた張り紙と顔写真を貼り付けて。

誰かが探しているという事実すら、本人はもう認識できない。
現実との接続が切れてしまっているからだ。


■ 医療では救えない「死を待つだけの状態」

フェンタニル依存は、もはや「治療可能な病気」ではない。
高濃度のオピオイドによって脳が破壊され、回復不能なほど神経系が損傷している。

しかも、tranq(動物用鎮静剤)との混合によって
身体は腐敗したような壊死を起こし、生きながらゾンビのような外見になる。

回復施設は足りず、医療費も高額。
誰も彼らを引き取れず、行政も「どうにもできない」状態で、街に放置されている。


■ バイオハザードは、未来のアメリカを描いていたのか?

最近、私はふと考える。
カプコンの『バイオハザード』シリーズは、現実のアメリカを予言していたのではないか。

ゾンビは、ウイルスによって意志を奪われた人間だ。
今のフィラデルフィアにも、それと同じように、意思も未来も失った人々がさまよっている。

フェンタニルは、現代のウイルスだ。
依存性、伝播性、致死率——どれを取っても現実離れしている。
だが、それが現実そのものなのだ。


■ 終わらない悪夢を誰が止めるのか

この問題に終わりは見えない。
誰かが新しい薬を開発しても、また別のドラッグが市場に出てくる。

「ゾンビ」とは他人ではない。
この国の制度からはみ出した、誰かの兄弟であり、友人であり、かつて子供だった人々なのだ。

もはやこれは、薬物問題ではない。
アメリカという国家そのものの崩壊の一部である。

私もうつ病患者だから、アメリカ生まれてたらここにいたかもしれない。

■ 「自由の国」への冷笑と、世界の声

フィラデルフィアの現状を伝える動画のコメント欄には、英語だけでなくアラビア語やペルシャ語とみられる書き込みも多い。
そこには「アメリカざまぁ」「自由の結果がこれか」「神は見ている」といった、冷笑とも怒りともつかない声が並んでいる。

この反応は、単なる嫌味ではない。
かつて「自由と民主主義」の名のもとに中東へ介入し、多くの民間人を犠牲にしてきたアメリカに対する、報復にも似た歴史的感情が背景にある。

アメリカ国内で苦しむ依存症の若者たちと、アメリカ国外でアメリカによって苦しめられた人々。
その両者の痛みが、奇妙なかたちで交錯しているのだ。

 

 

 

 

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