日記を書くのが一番いいと言われるけれど、まず日記が書けない日がある

「つらいなら、日記を書いてみたらいいよ」

そう言われることは、少なくありません。

確かに、調子のいいときには、

自分の状態を書き出すことで気持ちが整理されたり、

後から読み返して「自分の波」が見えてくることもあります。

でも、現実はもっと静かで、もっと厳しい。

本当につらいとき、

日記を書くための元気そのものが、もう残っていないのです。

ペンを持つ気力がない。

スマートフォンを開いて文字を打つ集中力もない。

書けたとしても、その文章を読み返して何かを判断する力すら、残っていない。

「今日はつらかった」

その一行を書くことさえ、心身には重労働になる日があります。

三日坊主どころではありません。

一日で終わる。

あるいは、最初から始められない。

それは怠けでも、意志の弱さでもありません。

脳も心も、すでに限界近くで踏ん張っている状態なのです。

うつ状態のとき、

人は「気づく力」や「振り返る力」から先に失っていきます。

だから、書いたところで何も得られない、

むしろ自分の無力さだけを突きつけられることもある。

それでも世の中には、

「続ければ意味がある」

「書かないと回復しない」

そんな言葉が溢れています。

けれど、書けない時期があるという事実を無視した助言は、

時に人を追い詰めます。

書けない自分を、さらに責めてしまうからです。

日記は、回復の道具のひとつであって、義務ではありません。

使える時期もあれば、使えない時期もある。

iPhoneのヘルスケアでは、気分を選択するだけで記録できる機能があります。

それすら、押す気力が残っていない時がある。

それだけのことです。

今日は書けなかった。

それだけで十分、生き延びている日もあります。

何も残せない日があっても、

その一日は、確かに存在していました。

書けない時期を含めて、

それがあなたの現実です。

無理に記録しなくても、

あなたの苦しみが消えるわけでも、価値が下がるわけでもありません。

書ける日が来たら、書けばいい。

来なければ、来ないなりに、生きていればいい。

それだけで、もう十分なのよ。

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