ネガティブ志向と鬱――性格も病気も治らない、それでも生きる理由

ネガティブ志向と鬱――性格も病気も治らない、それでも生きる理由


鬱患者として生きる中で、「性格も治らないし、鬱も治らない」と感じることは少なくない。
ネガティブ志向の人に向けたアドバイスやポジティブな提案を目にするたびに、「それができれば苦労しない」と思うこともあるだろう。

この記事では、ネガティブ志向の現実と、それでも生きる理由について語ってみたい。

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ネガティブ志向の現実――「手放すと楽になる」なんて簡単じゃない

よく目にする「手放すと楽になる悪習慣」のリスト。
例えば、「まだ起きていないことで不安になる」「自分の価値を疑う」「自分で選んだ環境に文句を言う」など。
これらは確かにネガティブ志向の特徴かもしれない。

でも、鬱患者にとっては、これらを「手放す」こと自体が難しい。
性格や思考の癖は簡単に変えられるものではないし、鬱という病気がその変化をさらに難しくしている。
「できればいいけど、できない」「したいけど、できない」――それが現実なのだ。

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それでも生きる理由――逆のことができなくてもいい

ネガティブな思考を変えられなくても、それで人生が終わるわけではない。
「ポジティブになれ」と言われても、それができるならとっくにしている。
だからこそ、無理に変えようとするのではなく、ネガティブな自分を受け入れながら生きやすい形を探していくことが大切なのかもしれない。

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ネガティブでも、それが自分の生き方

例えば、こんな場面がある。

「まだ起きていないことで不安になる」 → その時のメンタルはズタボロになるし、当分引きずる。切り替えようとしても簡単にはできない。
「自分の価値を疑う」 → 「小さな成功を積み重ねればいい」と言われても、その「成功」が何なのかわからない。やってみても、それを成功だと思えない。
「自分で選んだ環境に文句を言う」 → 確かに自分で選んだはずなのに、ストレスが積み重なってさらにメンタルがやられる。

こうしてみると、「ネガティブ志向をやめよう」と言われても、簡単にできるものではないことがわかる。
それでも生きている――それだけで十分なのではないか?

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逆のことができなくても、生きることはできる

「ポジティブになれ」「気持ちを切り替えろ」――そう言われるたびに、「それができれば苦労しない」と思う。
だけど、できなくてもいい。
ネガティブな自分を抱えたままでも、なんとか生きていくことはできる。

それが正解なのかどうかは、わからない。
ただ、今日も何かを探している――答えかもしれないし、ほんのわずかな希望かもしれない。
はっきりと形を持たなくても、探し続けることで、どこかにたどり着ける気がする。でも、何も見つからないかもしれない。

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