『みぃちゃんと山田さん』考察|ドキュメンタリーが照らす「見えない貧困」と福祉の限界

FNSドキュメンタリー「刹那を生きる女たち」を思い出した理由

みぃちゃんと山田さん』は、読後に強い違和感と重さを残す漫画である。

それは単に内容が過激だからでも、登場人物が不幸だからでもない。

この作品が描いているのは、

「支援につながれなかった結果としての人生」

だからだ。

読み進めるうちに、私はあるテレビ番組を思い出した。

第23回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品

**『刹那を生きる女たち 最後のセーフティーネット』**である。

フィクションとノンフィクション。

しかし、この二つは驚くほど同じ構造を描いている。

 

みぃちゃんは「可哀想な子」なのか

みぃちゃんは、社会の中で“問題行動”と見なされる行為を繰り返す。

  • 金銭管理ができない
  • マナーや距離感がわからない
  • 危険な約束を理解できない
  • DVの関係から抜けられない
  • 「なんでもできる」と言ってしまう

一見すると「だらしない」「理解不能な人物」に見えるかもしれない。

しかし本作は、

それを性格や本人の責任としては描いていない。

家庭は機能しておらず、

教育は与えられず、

福祉にもつながらず、

地域社会からは疎外されてきた。

みぃちゃんは「間違った選択」をしたのではない。

そもそも、選択肢を与えられていなかったのだ。

「逮捕されることでしか」福祉につながれない現実

本作で非常に重要なのが、

みぃちゃんと対照的に描かれる ムウちゃんの存在である。

ムウちゃんもまた、

おそらく何らかの障害を抱えている。

しかし決定的に違うのは、

  • 親が最低限の生活指導をしていたこと
  • 「万引きは悪い」と教えられていたこと

結果として、

犯罪をきっかけに 障害の診断がつき、福祉につながる。

これは残酷だが、現実でも珍しくない。

捕まらなければ、支援につながれない

捕まったからこそ、人生が立て直された

この矛盾を、漫画は一切美化せず描いている。

山田さんは「救済者」ではない

山田さんは善意の人だ。

だが、彼女は救世主ではない。

みぃちゃんと共同生活を始める場面も、

それはハッピーエンドではない。

「とりあえず死なない場所に移った」

ただそれだけだ。

山田さん自身もまた、

過干渉な母親という別種の歪みを背負っている。

この作品が誠実なのは、

「善意があれば救える」という幻想を描かない点にある。

ドキュメンタリー『刹那を生きる女たち』との共通点

FNSドキュメンタリーに登場する女性たちもまた、

  • 家族を頼れない
  • 行政にアクセスできない
  • 生活保護や障害年金を使えない
  • 風俗やシェアハウスをよりどころに生きている

番組内では、

「女性なら最後は風俗で稼げる」という幻想が、

すでに成り立たないことも描かれていた。

彼女たちは制度を拒否しているのではない。

制度にたどり着けないのだ。

みぃちゃんが

「性的なことをすれば、みんな自分を好きになる」

と信じ込んでしまった背景と、

ドキュメンタリーの女性たちが置かれた現実は、

驚くほど重なっている。

見えない貧困、見えない障害

この漫画とドキュメンタリーが突きつけるのは、

  • 可視化されない貧困
  • 診断されない障害
  • 誰も責任を引き受けない空白

である。

奇抜な服装や、理解しがたい言動は、

「個性」では片づけられがちだ。

しかしその裏にあるのは、

教えられなかった人生であることが多い。

これは漫画の話では終わらない

『みぃちゃんと山田さん』が苦しいのは、

これが特別な物語ではないからだ。

どこにでも存在していて、

けれど見ないふりをされ、

気づかれた時にはもう手遅れになっている層。

この作品は問いかけてくる。

支援は、誰が、いつ、引き受けるべきだったのか

そして私たちは、どこで見過ごしてきたのか

答えは簡単ではない。

だが、目を逸らすことだけは、もうできない。

まとめ

『みぃちゃんと山田さん』は、

単に「可哀想な人」を描いた物語ではない。

社会が救えなかった結果だと捉えることもできるが、

同時に、救済そのものがいかに困難であるかを突きつけてくる作品でもある。

福祉につながったからといって、

すべての人が安定した生活を選び続けられるわけではない。

支援を拒む人もいれば、

ある日突然、どこかへ消えてしまう人もいる。

私たちは無意識にこう考えがち。

  • 生きていれば救えたかもしれない
  • 管理すれば安全だったかもしれない
  • 矯正すれば普通になれたかもしれない

でも、それって裏を返すと、

彼女らしさを削ってでも

社会に収まる形で

生かし続けることが「善」

だと決めつけている面もある。

 

彼らは、

今日もどこかで、それぞれのやり方で生き延びている。

「みんな幸せになれたらいいのに」と願わずにはいられないが、

この作品は、その願いが必ずしも届かない現実までも含めて描いた記録なのだと思う。

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