私たちに「自由意志」は本当に存在するのか

社会構造と身体条件から考える生の制約

私たちはよく、「人間には自由意志がある」と語られる。

生き方は選べる、働き方も選べる、価値観も自分次第だと。

しかし、社会の構造を冷静に見つめ直したとき、

その言葉に強い違和感を覚える人も少なくないのではないだろうか。

社会は「自由」を前提に設計されていない

現代社会は、一見すると多様な選択肢が用意されているように見える。

だが実際には、年齢、経済状況、健康状態、家族環境など、

数え切れない条件によって、行動可能な範囲はあらかじめ限定されている。

私たちは「自由に選んでいる」つもりでいても、

その選択肢自体が、すでに社会によって用意された枠組みの中にある。

枠の外を選ぶことは、原則として想定されていない。

身体の特性が選択肢をさらに狭める

この枠組みは、身体的・精神的な特性によって、さらに絞り込まれる。

体力がなければ働き方は限られる。

慢性的な病気や障害があれば、生活の選択肢は大きく制約される。

精神的な不調があれば、「自分は何を望んでいるのか」を判断すること自体が難しくなる。

それでも社会は、

「それでも選べるはずだ」

「自分で決めなければならない」

と個人に責任を返す。

ここに、大きな矛盾がある。

自由意志は本当に存在するのか

もし、選択肢が社会構造によって制限され、

さらに身体条件によって削られていくのだとしたら、

私たちが持つ「自由意志」とは、一体何を指しているのだろうか。

少なくとも、完全に自由な意思決定が可能な状態ではない。

私たちは、自ら望んで選んでいるのではなく、

選ばされている選択肢の中から、消去法で生きている。

そう表現したほうが、現実に近いのかもしれない。

このような前提が社会に共有されているからこそ、
判断能力や選択肢が大きく制限されている人に対しても、
「それでも生きるべきだ」と語ることが、疑問なく行われているのかもしれない。

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