グロい。グロ過ぎる。 pic.twitter.com/3hWDNz6AaG
— ドニー (@CwpTBjqHIwuEnyf) June 12, 2025
年末になると、幼稚園児がお小遣いを歳末助け合い募金に寄付する光景がSNSで流れてきます。表面的には微笑ましく、「子どもたちが社会のために何かをする」という姿は誰もが称賛したくなるものです。しかし、その裏側に潜む「善意の強制」が子どもの心にどんな影響を与えているか、考えたことはありますか?
子どもに強制される善意の行為
私の体験ですが、自分の大切にしていたミッキーマウスの貯金箱を母親に持たされ、近所のスーパーで募金した経験があります。私は募金の意味も、受け取る側の顔も知らず、ただ母親の指示に従っていました。本人の意思は関係なく、全財産が募金箱の中に消えてしまったのです。
このように、善意の行為を子どもに強いることは、一見美しい行動の裏で、子どもの自己決定権を奪う行為であることが多いのです。
「自己犠牲=美徳」という刷り込み
私の母親は「恵まれない人にお金をあげなさい」と言いながら、自らは1円も出さず、社会的な体裁や「意識の高い親」としてのイメージを守ることに専念していました。その結果、子どもは「人に何かを与えるのは当たり前」「自分のものを犠牲にしてでも他者のために尽くすべき」という価値観を無意識に刷り込まれていきました。
こうした環境で育った子どもは、大人になってからも、他人に何かを提供することには熱心でも、自分自身の価値を正当に評価したり、対価を受け取ったりすることに抵抗感を持ちやすくなります。商売や人間関係においても、自己犠牲的すぎて不利になるケースが多いのです。
善意の行為は「本人の意志」があってこそ成立する
寄付や支援は、本人の自主的な意思があって初めて意味を持ちます。子どもにただ「やりなさい」と言って押し付ける行為は、善意の名を借りた「強制」です。これは子どもの心に「自分の意志は重要でない」というメッセージを送り、自己肯定感を著しく損ないます。
大人になったときに気づきます。「なぜあのとき、自分の気持ちは無視されたのか」「本当に支援したいと思っていなかった」「いまだに可哀そうな子とは誰のことだったのかわからない」という疑問や怒りが生まれるのは当然のことです。
「自己決定の尊重」が未来を変える
子どもに「善意」を教えることは重要ですが、その過程で最も大切にすべきは「自分で選ぶ自由」と「自己肯定感」です。単に「寄付をしなさい」と押し付けるのではなく、寄付がなぜ必要なのか、本当に裏付けの取れている寄付なのかどのように誰を助けるのかを共に考え、子どもが納得して行動できる環境づくりが求められます。
おわりに
寄付や支援の行為は、本来、心を育てるものです。しかし、それが強制されると、子どもに深い傷を残します。搾取され続けられる人間が育ちます。私たちは、善意を子どもたちに「押し付ける」のではなく、「共に育む」ことの意味を問い直す必要があります。子どもたちの未来のために、自己犠牲を美徳とする教育から脱却し、自己決定と尊重を基盤にした支援のあり方を模索しましょう。
普通の親であれば、「あなたの将来のために貯金をしておきなさい。それでも、募金したいのならどうぞ」と、子ども自身に選択肢を与え、その意思を尊重するのが理想的です。自己犠牲を美徳とする教育から脱却し、自己決定と尊重を基盤にした支援のあり方を模索することが、子どもたちの健やかな未来につながるでしょう。
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