【豹変する子ども】「いい子だったのに」と言う前に考えてほしいこと

「急に子どもがおかしくなった」
「昔はあんなに真面目だったのに」
親がそんなふうに戸惑うとき、私は少しだけ冷めた気持ちになる。
なぜなら――私自身が、“豹変した子ども”だったからだ。

私は発達障害でもなかったし、いわゆる思春期の反抗もなかった。
どちらかといえば「静かで真面目」「手がかからない子」と言われて育った。
でも、大人になって突然、心の奥に積もっていたものが爆発した。


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■ 子どもが突然“変わる”のではない

私が豹変したのは、30代になってからのことだ。
「みんな仲良くしようね」が口癖だった祖母が亡くなり、
家庭内の“最後の緩衝材”がいなくなった瞬間だった。

それまでずっと我慢していた。
「家族の空気が悪くならないように」
「私さえ耐えていれば、なんとかなる」
そう信じていた。

でも、心の中ではずっと「どうして私ばかりが我慢しなくちゃいけないの?」と思っていた。


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■ 「いい子」の仮面は長く続かない

思春期に反抗しなかったのは、我慢が癖になっていたから。
問題を起こさないことでしか、存在価値を感じられなかった。
だから「いい子」ではなく、「感情を止めていた子」だったのかもしれない。

そんな私がある日限界を迎えたのは、
周囲から見れば「突然」のように見えただろう。
でも、自分の中では何年も前から“ひび”が入っていたし、それが本来の自分。
別段驚くものでもない。


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■ 家庭内で爆発する子どもをどう見るか

ニュースなどで「穏やかだった子が突然豹変し、親に暴力をふるった」
そんな出来事を耳にするたび、私はその子の気持ちに寄り添ってしまう。

もちろん、暴力は肯定できない。
でも、「暴力という結果だけを見て、心の積み重ねを見落としてはいけない」と思う。
誰も“急に変わる”わけではなく、
多くのケースでは「ずっと我慢してきた結果、限界がきた」だけなのだ。


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■ 子どもは無言でサインを出している

もし子どもが今、「いい子」でいるのなら、
それは“本心”かもしれないし、“諦め”かもしれない。
子どもはうまく言葉にできない分、
態度や沈黙というかたちで助けを求めている。

子どもが何かを爆発させたとき、
「この子に何があったのか」ではなく、
「この子のまわりで何が起きていたのか」を考える必要がある。


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■ 結論:「豹変した子ども」ではなく「限界まで我慢した子ども」

私は今でも、「あの時、ちゃんと話を聞いてもらえていたら」と思うことがある。
子どもは、ただ“耐えていただけ”なのかもしれない。
「いい子だったのに」と言う前に、
その“いい子”が、どれだけ我慢してきたのかを思い出してほしい。

私はもう子供という年齢でもなく、おばちゃんになるんだけども、彼らの気持ちは少なからず私も経験したから少し分かってしまうんだ。

 

 

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