人生がどれくらい続くのか、誰にもわからない

年配の人が、若い人に向かって「まだ人生長いんだから」と言うことがある。

これから先、いくらでも時間がある。失敗してもやり直せるし、今はつらくても、きっといいことがある。そんな意味が込められているのだと思う。

もちろん、その言葉に悪気はないのだろう。

けれど、私はときどき思う。

本当に、人生が長いかどうかなんて、誰にもわからないのではないだろうか。

若くして亡くなる人もいる。

これからたくさんの経験をして、いろいろな景色を見て、人生を楽しんでいくはずだった人が、思いがけず早く亡くなってしまうこともある。

一方で、長い年月を生きて、たくさんの季節を重ねていく人もいる。

その違いは、いったい何なのだろう。

私は、ときどき不思議に思うことがある。

優しい人や、性格のいい人が先に亡くなってしまったように感じることがあるのだ。

もちろん、優しい人だから早く亡くなるという決まりがあるわけではない。長生きする優しい人もいれば、さまざまな事情で早く亡くなる人もいる。

それでも、誰かの訃報に触れたとき、「どうして、あの人が」と思ってしまうことがある。

人柄のよさと寿命は、関係がないのだろうか。

いい人だから長生きできるわけでもなく、誰かにとって大切な人だからといって、必ず長く生きられるわけでもない。

そう考えると、人生というものは、私たちが思っている以上にわからないことだらけなのかもしれない。

努力すれば報われることもある。健康に気をつけることで、病気のリスクを減らせることもある。

けれど、どれだけ先のことを考えていても、自分の人生があと何年続くのか、正確に知ることはできない。

だからこそ、「まだ若いから」「まだ人生は長いから」という言葉だけでは、片づけられないこともあるのだと思う。

若い人にも、その人なりの悩みがある。今この瞬間を必死に生きている人もいる。

未来が長く続くことを前提にするのではなく、今を生きている一人の人間として、その人の気持ちを考えることも大切なのではないだろうか。

そして、いつか必ず訪れるものがある。

それが、死だ。

生まれてくる時期も、育つ環境も、生きる長さも、人によって違う。

けれど、人は誰でも、いつか人生を終える。

その意味では、死は誰にとっても平等なのかもしれない。

もちろん、亡くなるまでの事情や苦しみまで平等というわけではない。早く人生を終える人もいれば、長い年月を生きる人もいる。そこには、どうしても違いがある。

それでも、生まれてくることと同じように、死もまた、人間という存在に訪れるものなのだ。

そう思うと、少し不思議な気持ちになる。

私たちは、明日も来年も、その先の未来も続いていくものとして暮らしている。

予定を立て、欲しいものを買い、誰かと会う約束をして、いつかやりたいことを考える。

そんな日常があるからこそ、生きていけるのだと思う。

けれど、本当は誰にも、自分の人生がどこまで続くのかはわからない。

だからといって、いつも死を意識して暮らす必要はないのだろう。

ただ、人生が長いか短いかは、誰にも断言できない。そのことだけは、心のどこかに置いておきたいと思う。

「まだ人生長いんだから」という言葉も、きっと間違いではない。

けれど、人生が長いかどうかは、誰にもわからない。

だから私は、人生の長さを決めつけずに、今を生きている人の時間を大切にしたいと思う。

人はいつか死ぬ。

それは誰にでも訪れること。

だからこそ、人生とは何なのだろうと、ときどき考えてしまうのだ。

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