「人生は決まっている」と言う人には、二種類いるのではないか

「人生は決まっている」と話す人がいる。

この言葉を聞くと、私は以前なら「運命論なのかな」と思っていたかもしれない。

けれど、最近ふと、同じ「人生は決まっている」という言葉でも、まったく違う意味で使っている人がいるのではないかと思った。

私は、それには大きく分けて二つの見方があるのではないかと思う。

ひとつは、未来を見て「どうせ決まっている」と考える人

ひとつ目は、今を生きている自分から未来を見る考え方だ。

「どうせ人生は決まっているのだから、努力しても仕方がない」

「何をしても結果は変わらない」

そう考えてしまえば、未来に向かって何かをする意味がなくなってしまう。

これは、人生が決まっているという考えを、現在から未来に向けて使っている状態なのだと思う。

未来が決まっている。

だから、何をしても無駄。

そう考えれば、たしかに少し悲観的な人生観になりやすい。

もうひとつは、人生のエンディングから現在を見る人

でも、私は最近、まったく別の見方ができることに気がついた。

人間は、一度は死ぬ。

いつ死ぬのかは誰にも分からない。

私自身も、2026年8月31日現在、いつ人生を終えるのかなんて知らない。

それは神のみぞ知ることだと思っている。

これは宗教的な話をしたいわけでも、スピリチュアルな話をしたいわけでもない。

ただの仮定の話だ。

仮に、私がいつか人生を終えたとする。

その「人生の最後の日」から、今現在の2026年8月31日を振り返ってみる。

すると、どうだろう。

私の人生は一本の線になっている。

まっすぐな線ではない。

きっと、くねくねと曲がっている。

右へ行ったり、左へ行ったり。

何かを選んだり、やめたり。

偶然の出来事に巻き込まれたり、思いがけない人と出会ったり。

「あのとき、もし別の選択をしていたら」と思うことも、きっとたくさんある。

それでも、人生を最後まで生き終えたあとから振り返れば、私が実際に通ってきた道は一本しかない。

生きている途中では、たくさんの可能性がある

今を生きている私たちには、未来が見えない。

だから、

「こっちへ行こうか」

「やっぱりやめようか」

「こちらを選んだほうがいいかもしれない」

と、いくつもの可能性の中で生きている。

未来は枝分かれしているように見える。

でも、人生のエンディングまでたどり着いたあとに振り返れば、その人が実際に通った道は一つだけだ。

たくさんの選択肢があったとしても、最終的には、その中の一つを通ってきたことになる。

だから私は、「人生は決まっている」という言葉を、少し違った角度から考えるようになった。

「決まっている」と「決められている」は違う

ここは、とても大切なところだと思う。

「人生が一本の線になる」ということと、

「人生のすべてが最初から決められている」ということは、同じではない。

未来が本当に最初から決まっているのかどうか、私には分からない。

科学的にも、それを確認できているわけではない。

私が言いたいのは、もっと単純なことだ。

人生を生き終えたあとから見れば、その人生には一本の線ができる。

それは、結果としてそうなる。

そして、その線の途中にいる私たちには、その先が見えない。

だからこそ、私たちは選ぶ。

だからこそ、迷う。

だからこそ、楽しむ。

「どうせ決まっている」ではなく、「どうなるか分からないから面白い」

もし未来が見えていたら、人生はずいぶん違ったものになるだろう。

自分が何歳で死ぬのか。

誰と出会うのか。

何を失うのか。

何を手に入れるのか。

最後にどんな人生を振り返ることになるのか。

それを全部知っていたら、私は今ほど自由な気持ちで生きられないかもしれない。

だから、未来が分からないことは、実はありがたいことなのではないかと思う。

人生のエンディングは、今の私には見えない。

だから今日を生きることができる。

今日何を食べるか。

誰と話すか。

何を弾くか。

どこへ行くか。

何をやめるか。

何を始めるか。

そういう小さなことを、その日の自分が選んでいく。

そしていつか人生を振り返ったとき、それらすべてが一本の線になっている。

人生が決まっているとしても、今日を楽しめばいい

「人生は決まっている」という言葉を聞いたとき、私はもう、すぐに悲観的な考えだとは思わない。

その人がどこから人生を見ているのかによって、意味が変わると思うからだ。

未来を見ながら、

「どうせ決まっている」

と考える人もいる。

一方で、人生のエンディングを仮定して、そこから現在を振り返る人もいる。

後者の視点に立つと、不思議と悲しくならない。

むしろ、

「私は今、人生という一本の線の途中にいるんだな」

と思える。

その線がどこへ向かっているのかは、今の私には分からない。

だからこそ、今日を生きる。

笑う。

食べる。

人と話す。

好きなことをする。

小さなことでも、自分にできることをする。

そして、いつか人生の最後に振り返ったとき、

「いろいろあったけれど、なかなか面白い人生だったな」

と思えたら、それでいいのではないだろうか。

人生が最初から決まっているのかどうか、私には分からない。

でも、人生を最後まで生きたとき、その人の歩いてきた道が一本の線になることだけは確かだ。

私は今、その線の途中にいる。

そして今日も、その線の上を歩いている。

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