うつ病が長く続くと、日常の小さな喜びや幸せでは心が動かなくなることがあります。
そのため、普通の人が言う「楽しいことをしよう」「気分転換しよう」という言葉が、逆に苦しく感じられることもあります。
本記事では、長期うつ病で感情が麻痺した状態や、過激な行動・自傷行為の心理について、当事者目線で解説します。
小さな幸せでは感情が動かなくなる
うつ病の初期では、散歩や音楽、甘いものなど、少しの楽しみでも心が動くことがあります。
しかし、長期化すると、日常の小さな出来事は「無」に近く、楽しい・うれしいという感覚はほとんど消えてしまいます。
この状態で「何か楽しいことをしよう」と言われると、感情が動かないだけでなく、押し付けられているように感じ、余計に苦しくなることさえあります。
感情を取り戻すために、過激な行動に向かうことも
感情が麻痺した状態では、普通の刺激では何も感じられません。
そのため、無意識のうちに「何かを感じる行動」を探し、大きな行動や過激な行動に出ることがあります。
世間から見れば「失敗」や「事件」と呼ばれることもありますが、本人にとっては感情を取り戻すための最後の手段に近い感覚なのです。
自傷行為は「自分への戒め」と感じる人もいる
自傷行為は「自分への戒め」と感じる人もいます。
特にリストカットなどの自傷行為は、他人からは「構ってほしいだけ」と誤解されることがあります。もちろんそういうことをして、他の人の反応を見てる人もいます。
しかし、本人にとっては、自分の弱さやダメさを戒めるための行為であり、他人に見せるためではない場合もあります。
それは、感情が鈍くなった状態の中で、自分自身を何とか反応させようとする手段の一つでもあります。
例えるなら、動かなくなった馬を走らせるために刺激を与えるように、自分を前に進ませるため、あえて強い刺激を与えている感覚に近いのかもしれません。
理解されにくい感覚だからこそ、言葉にする意味がある
長期うつ病の感覚は、元気な人には理解しにくいものです。
- 小さな幸せでは感情が動かない
- 過激なことしか心が動かない
- 自分に鞭を入れる感覚がある
こうした感覚は異常でも甘えでもなく、長期うつ病の中で自然に生まれる心の反応です。
押し付けられる「小さな幸せ」に苦しくなるのも当然のこと。
理解されにくい感覚だからこそ、同じ状態の人が安心できる文章が必要なのです。
まとめ
- 長期うつ病では、日常の小さな喜びでは感情がほとんど動かなくなる
- 普通の幸せの押し付けは、苦しく感じられることもある
- 感情を取り戻すために、過激な行動や自傷に向かうこともある
- 自傷行為は「他人へのアピール」ではなく、「自分への戒め」と感じる場合がある
- これらは長期うつ病で自然に生まれる感覚であり、決して異常ではない
私自身も、過去に自分の体を傷つけたい衝動を抱えたことがあります。
振り返ってみると、その感覚は「誰かに見せたい」というものではなく、
自分を戒めるため、強制的に前へ進ませるの気持ちに近かったと感じています。
ただし、これはあくまで個人的な感覚ですが、
この状態がさらに進んでしまうと、体を傷つけること自体がどうでもよくなっていくようにも感じました。
体を傷つけるという行為は、まだ体が動き、
感情に何らかの反応が残っている段階だからこそ起こるものではないかと思います。
すべてを手放し始めた状態では、
痛みを与えることすら意味を持たなくなり、
自傷行為そのものをしなくなることもあるのではないでしょうか。
これは一般論ではなく、あくまで私個人の経験と感覚に基づく考えですが、
「自傷行為がある=一番危険な状態」とは、
必ずしも言い切れないのではないか、と感じています。

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