精神疾患と「一人で通院する男性」が見えにくい理由|支え合い神話の構造的誤解

精神科病院の待合室で、「理解ある彼氏が付き添う女性」はよく目にするのに、「理解ある彼女が付き添う男性」はほとんど見かけない——そんな声をSNSで見かけることがあります。

しかし、これは本当に「愛情の差」や「優しさの欠如」を示しているのでしょうか。

本記事では、感情論ではなく構造的視点から、精神疾患・孤立・生存リスクについて解説します。

精神科通院に「付き添い」がある=幸せ、とは限らない

精神疾患を抱える人にとって、誰かが隣にいることが必ずしも支えになるわけではありません。

  • 神経過敏で、一人の方が楽な人
  • 他人がいると気力を消耗する人
  • 自立して通院したい人

実際、うつ病や不安障害の当事者の中には、「付き添いがあることで逆に負担になる」人も少なくありません。

「男性は一人で通院していてかわいそう」という見方の危うさ

男性が一人で精神科に通う姿を見ると、「誰も支えてくれないのでは」と感じる人もいます。

しかしそれは、本人の希望や特性を無視した外部の解釈である場合があります。

  • パートナーを望まない人
  • 依存関係を避けたい人
  • 他者と生活する余力がない人

「一人=不幸」という前提は、精神疾患の多様性を狭めてしまう危険があります。

動物界と人間社会の「生存構造」の違い

動物界では、弱い個体が群れから外れることがあります。これは善悪の問題ではなく、生存効率の構造的現象です。

一方、人間社会は福祉や制度によって「生き延びる」方向を選びました。その結果、

  • 生存は可能になる
  • しかし回復や自立は保証されない
  • 長期停滞や孤立が生じる

これは間違いではなく、人間社会が選択した構造的トレードオフです。

一人で生きることは悪ではないが、リスクは高い

重要なのは、一人でいること自体は悪ではないということです。

ただし、精神疾患がある場合は、以下のようなリスクが高まります。

  • 生活の立て直しや体調悪化時の対応
  • 社会的接点の維持
  • 精神的負荷の増大

つまり「一人=かわいそう」と考えるのではなく、「一人=支援設計がより重要」という視点が必要です。

支え合いは万能ではない。大切なのは“選択できる構造”

誰かに支えられて回復する人もいれば、一人で静かに立て直す人もいます。

本当に必要なのは、以下の条件です。

  • パートナーがいる・いないで評価しないこと
  • 一人を選んだ人が孤立しない制度
  • 「付き添いが正解」という神話から離れること

精神疾患は、一つのモデルで救えるものではありません。

男性は支援に手を差し伸べられにくい現実

精神科や福祉の場面で、男性が一人でいる場合、女性に比べて支援や助けを受ける機会が少ないことがあります。これは、性別や社会的期待によって生まれる「制度的な壁」が影響していると言えます。

例えば、性同一性障害で女性として生まれた人が男性に移行した場合の体験談では、

  • 女性だったときには周囲が優しく支えてくれた場面も、男性になると冷たく感じた
  • クラブや社会活動でも、女性だったときには受けられた配慮が、男性では得られない

と語られています。これは、男性に対して支援の手が差し伸べられる機会が少ない現実を示しています。

一般的に、女性は「囲われる存在」や「利用価値」を理由に支援されることがありますが、男性が男性を支える機会は非常に限られています。特にLGBTや家族の支援が得られない場合、男性は自ら福祉制度や支援にアクセスしないと助けを受けられない確率が高くなります。

私自身も女性ですが、家族に恵まれなかった経験から、福祉制度の利用は自分で市役所に足を運び、手続きを進める必要がありました。亀の歩みのようでした。

こうした経験からも分かるように、男性は特に「自ら支援にアクセスする能動性」が求められることが多いのです

真面目な人ほど人に頼ると迷惑かけるんじゃないかと思い、何も申請せず、さらに福祉から遠のく現状もあります

まとめ

精神科に一人で通う男性が目立たないのは、愛情の欠如でも社会の冷酷さでもありません。

それは、人間社会が作り上げた、生存・支援・自立の構造の結果です。

誰かと生きる人も、一人で生きる人も、どちらも尊重される社会であるために、私たちは「構造」を冷静に見直す必要があります。

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