「なりたいもの」がないまま、40歳になった。空欄を埋めないまま生きていく

なりたいものが見つからないまま、40歳になった私へ

実際は41歳になりました。

「なりたいものがないなら、いつか見つかるよ」

子どもの頃から、何度この言葉を聞いてきただろう。

でも、その「いつか」は、私のところには来なかった。

幼稚園の頃、

「将来なりたいものを書きましょう」という時間があった。

私は正直、意味がよく分からなかった。

憧れる職業も、なりたい姿も、特になかった。

周りの子が

「看護婦さん」「お花屋さん」と書くのを見て、

私はその中の一つを、ただ真似して書いた。

それが正解だと思ったからではない。

「空欄のままは、いけない気がした」からだ。

あれから何十年も経って、

私は40歳になった。

けれど今でも、

なりたいものは、やっぱりない。

理想の自分像もない。

憧れの顔立ちも、髪型も、ライフスタイルも、特にない。

「こうなりたい」という未来図が、最初から存在していなかった。

最近、この文章を書いていて、

ひとつ気づいたことがある。

私は、

誰かになりたかったわけでも、

誰かを羨んでいたわけでも、

本当はなかったのかもしれない。

むしろ、

どこかで

「自分の人生は、自分のままで引き受けている」

そんな感覚が、ずっとあったのだと思う。

正直に言えば、

「自分のほうがマシだ」

そう思っている部分も、きっとある。

それは傲慢さではなく、

流されずに、無理に夢を捏造せずに、

ここまで来たという事実への、静かな自負だ。

世の中には、

「なりたいもの」を持っているように見せるために、

必死になっている人も多い。

でも私は、

「壊れないでいること」を選んできた。

「変わらなければならない自分」にならずに済む道を、

無意識に選んできたのだと思う。

なりたいものがないからといって、

迷子なわけでも、遅れているわけでもない。

ただ、

そう言い切れる言葉が、

この世の中にはあまりにも少なすぎるだけなのだ。

だから私は、最近こう思うようになった。

このままで、いいのかもしれない。

投げやりでも、諦めでもなく、

ただ静かに、受け止めているだけだ。

なりたいものが見つからないまま、40歳になった。

それでも私は、

ちゃんとここに立っている。

それで、いい。

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