誰にも感謝されず、介護したら負けと囁かれる終わりなき世界
1. 命を守る誠意が報われない現実
ある介護職の若者がいました。
彼は、溺れそうになった重度障碍者を助け出しました。
命を守るその行為は、誰もが称賛すべきものでした。
しかし、その後に返ってきたのは感謝の言葉ではなく、
むしろ虚しさと孤独だけでした。
相模原障害者施設殺傷事件。
入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた植松聖死刑囚もかつてはそういう助ける行動もしていました。
2. 誰にも報われない「構造」のなかで人は壊れていく
重度障碍者の支援には、月に数百万円の公費が投入されます。
しかし、支えられる本人も家族も、そして介護現場も疲弊し、離れていきます。
生産性至上主義の社会では、
「なぜ守るのか」という問いが独り歩きし、
命の価値が数字でしか測れなくなってしまいました。

3. 「介護したら負け」という無言の空気
手取り20万円以下、過酷な勤務、休みも少ない、リスクが高い介護の現場。
利他的な行為が「損な役回り」とされ、心はすり減り続けます。
報われないまま介護を続けることは、やがて心を壊すことを意味します。
現場には、「介護したら負け」と囁かれる無言の空気が漂っています。
4. 介護した者だけが知ってしまう絶望
「それがあなたの仕事なんでしょ」
「それでお金もらってるんでしょ」
「あなたの家族なんでしょう」
という言葉でまとめられ、「ありがとう」すら返ってこなかった現実がある。
自分の人生を捧げ頑張っても、なんとか良い方向へ考えようとしても、それ以上に現実が厳しくて押しつぶされる。
間違いなく社会構造を変えていく必要があると思う。
5. まとめ──支える側の命にもっと光を
支える側の命の扱いが、あまりに軽んじられている社会。
私たちは、命を守るために犠牲を払っている介護者や家族の声に、
もっと真剣に耳を傾けるべきです。
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命を支える人たちの心のケアは足りているのか?
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彼らは感謝され、報われているのか?
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そして、彼らが壊れないために社会は何をできるのか?
これらの問いなしに、真の「命の尊厳」は語れません。
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